著者の言葉
ナチ・ドイツの占領下、アムステルダムからアウシュヴィッツなどの強制収容所に送られたユダヤ人は10万人。一方、アンネ・フランク一家など1万人が、街中に潜伏した。この都市が、オランダのなかでもとくに難民・移民に寛容なのはなぜか。アンネと仲間たちやその家族は、その後どんな人生を歩んだのか。戦争に翻弄されて、たくさんの物語が生まれた。
戦時中のアムステルダムには、ユダヤ人を護るさまざまなレジスタンス組織がつくられ、活躍した。保育士たちは策略を練り、強制収容所に送られる直前の子どもたちを連携して救い出した。ユダヤ人のリストを確定する立場にいた法律家たちは、「シンドラーのリスト」ならぬ「カルマイヤーのリスト」を作り、多くのユダヤ人が、実は「ユダヤ人」ではないことを書類上で立証しようと奮闘した。学生たちの組織は、ユダヤ人の子どもたちをアムステルダムから地方都市へこっそり避難させた。
今、世界中で難民は増えつづけ、問題は深刻化する。この街から具体的に学べることは何だろうか。