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パネル討議(第2部)/ Panel Discussion 2
-- 研究成果公開を通じた大学の説明責任と社会貢献

#各講演の資料はPDFから閲覧できます。
パネルディスカッション2

コーディネーター:三位正洋(千葉大学附属図書館松戸分館長)

  1. これからの科学と大学のあり方

    廣井良典(千葉大学法経学部)[PDF]

  2. 図書館とデジタル・プリザーベーション

    竹内比呂也(千葉大学文学部)[PDF]

  3. 生涯教育と医療情報

    田邊政裕(千葉大学医学部附属病院)[PDF]

パネル討議第2部では、各パネラーの講演後、大学の情報発信と社会貢献について、ディスカッションが行われました。

大学が社会への説明責任をどう果たすか、 社会のニーズにどのように応えていくか、そのために図書館に何ができるかという議論が交わされました。


[講演後の質問]

竹内先生講演後

後藤: 東北大学)
機関リポジトリとデジタル情報の長期保存について、 ハーナッドは 登録の増加が最優先だから、デジタル情報の長期保存は二の次だとしたり、 2003年にクリフォード・リンチは、 機関リポジトリがはやると、準備不足のまま見切り発車し、結果、破綻してしまうリポジトリが出てくるのではないか。 その場合、機関リポジトリという存在が研究者の信頼を失ってしまうのではないか。という危惧を唱えています。
デジタル情報の保存を担う上でのフェイルセーフ的な仕組みは必要だと思われますか?
竹内)
各大学がどういった方針を持つかと、ナショナルポリシーとしてどういった方針を作るかの二重構造になるのではないかと思います。
各大学ではやらないと決めて、例えばしかるべき機関がすべきことであると宣言して何もしないということは、大学の選択肢としては当然あることだと思います。
先ほど、意識が低い、ポリシー・方針がないという話をしたが、あるセミナーで聞いたのは、 そういう風に言っている人の多くは「いずれどこかでやってくれるよ」と思っているということでした。
そのあたりは非常に揺れているところですが、 第一義的には大学というか機関リポジトリを持っている機関が保存といったことを考えるのは非常に意味があると思います。

[ディスカッション]

「機関リポジトリへの情報の蓄積について」

三位)
情報がなければ発信もできません。 早い段階で一定の量の情報が蓄積されているべきかと思いますが、竹内先生はどうお考えでしょう?
竹内)
どんなリポジトリが魅力的であるかと考えると、当然たくさん入っているに越したことはないと思います。 難しいのはどうしたらたくさん入れてもらえるかということで、 この問題は世界中のリポジトリの関係者が悩んでいるのではないでしょうか。
三位)
廣井先生、大学の社会的な使命という観点からみて、 当然始めに出すべきものを用意するべきかと思いますがどうでしょう?
大学の構成員全体に対して、一定量の最低限必要なものを、 最初は何らかの強制力をもってリポジトリに入れなさいというのはやって良いかといったことはどう思われますか?
廣井)
私の場合はCOEの機関紙を運営していて、 対外的に発表できる媒体があればと思ったところにリポジトリの話があったので、 渡りに船ということでありがたかった。
分野によって事情が違うので一概には言えませんが、 私の観点からは学問の社会的責任なり関わりが今まで以上に大きくなっている時代だと思うので、 ある程度、税金を使った研究成果をフィードバックしているという意味で、 使命あるいは義務という側面も出ているのではないかと思います。
三位)
土屋先生、図書館長としてどう考えますか?
土屋)
持続させるためには、ただひたすらお願いするのみです。 制度的な義務を使っても形骸化してしまうので、理想論かもしれないが、 そうすべきだということを我々一人ずつが認識してやるような状態になると良いと思います。
問題は登録にどれくらい手間がかかるかということです。立ち上げの今のうちでしたら図書館が手伝うので、先生方は、 今のうちに申し出ていただいた方が良いです。 時間が経って、自分でやるのが当然でしょうという雰囲気が出てから申し出てもお手伝いできなくなるかもしれません。 早い者勝ちです(笑)。

「医学・医療に求められる情報」

三位)
第一部の方では質の問題がありましたが、田邊先生、
医学ではupdateなものでないとダメということなので、 リポジトリに入れるとそのまま古いものが残ることが心配されますが、どうでしょう?
田辺)
蓄積するときに考えなければいけないのは、受け手のニーズがどこにあるかということです。
病院の場合は、医師の生涯教育と、国民あるいは市民に対する情報という2点があります。 それぞれの対象に対して、生のデータを出すのではなく、例えばup-to-dateのような、使いやすく、アクセスしやすいように加工して情報を提供する。 あるいは患者、国民に対してはわかりやすいデータを噛み砕いた形で提供する。 そういったひと工夫をしないとせっかく情報を提供しても、実際には利用されないということになります。
三位)
リポジトリに関しては、一般の人が分かりやすい形で提供しなくてはいけない。 そうすると誰かがわかりやすく書き直すといったことをしなければならなくなるかと思いますが、その点はどうでしょう。
田辺)
難しいと思うが、やるならどこかの部署が責任をもって行うシステムを作る必要があるでしょう。
大学の場合なら、委員会組織はメンバーが代わると継続性がなくなり、評価や見直し改善といったプロセスが機能しなくなります。 例えば図書館などが責任を持って継続的に行う。それを評価、見直しをしてより良いものにしていくというシステムが必要だと思います。

「図書館にとっての機関リポジトリ」

三位)
竹内先生、図書館がこういった仕事を行うのに適しているという話ですが、 図書館のこれまでの仕事とどうやって調整していくかが悩みになるかと思います。
良い知恵があるでしょうか?
竹内)
図書館を、これからどういった形で機能させるかということに関係してきます。
第一部や土屋先生の指摘にあったように、リソースの電子化により、 図書館を経由しない形で情報がエンドユーザの手に届くようになっているという状況において、 ある部分では図書館の専門的な仕事の負担が軽くなっていると考えられると思います。
そういった中で、図書館で培われている専門的な知識やスキルを役立てることを続けたいと考えるなら、 リポジトリの展開やプリザベーションに行かざるを得ないのではないかと考えます。
当面は短期的な仕事の増加をとなるかもしれませんが、将来の明るい未来を望む方が良いのではないかと、私は思います。
三位)
会場の方から何かありますか?
永井: 日本動物学会)
ひとつに、去年のNIHデクラレーションの発端には、 乳がんの患者をもつ家族がまた購読料を払ってジャーナルを見るのはおかしいという論拠があったと思います。 医学系に関してはリポジトリされたものが誰でもアクセスして見れることが良いのかという問題は、 非常に重大な問題を含んでおり、分かりやすく説明する過程が必要かもしれないと思います。
それから去年、独立行政法人化があって、各大学が自分達の存在をどう見せていくかという問題がある。
さらに、今SPARCの仕事をしていて、たくさんの地方大学の先生や図書館の人と話すと、リポジトリには興味はあるが、 やるだけのパワーが大学にないから諦めるということが大変多く聞かれました。
研究者の望みとしては、リポジトリのスイッチを押せばいっぺんに業績が出てくるといったシステムと連携して研究評価に役立てられれば、 やる意欲が湧くといった意見がよく聞かれます。
地方の人手がないような図書館がリポジトリを諦めるのもありだと竹内先生がおっしゃったが、その場合、 今後の図書館はリポジトリをしないことでどうやって自分達の存在やaccountabilityを明確にするのかということについて、どう考えますか?
土屋)
そういう(考えられない)大学はなくなるだけだと思います。
三位)
時間が来ましたので・・・これから皆さんで考えていって、リポジトリをより良く発展させていければと思います。 ありがとうございました。

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